Cocco@神戸国際会館
2006年8月9日 音楽
場慣れというのは残酷なもので、
普段、ライブ会場で開演前に
ドキドキしたりってことが
最近もう無い。
この前の宇多田の時もそうだった。
なのに、今回はドキドキが止まんない。
なんかもうそわそわしちゃって
席に着いてからずっと身体が揺れていた。
オープニングは「音速パンチ」
ステージ中央付近からバンドがフロントを囲む様に
緩やかに半円型にセッティングされている。
ステージセットは一切無し。
各ミュージシャンの間に、照明用のスタンドが立って
いるだけ。
そこへ、白いバレーリーナの様な衣装で
彼女は現れた。
“華奢”とか“細い”とかってもんじゃない。
痩せっぽっちな女の子は抱えていた花束を足元に置いて
唄い始めた。
途端にガツン!と衝撃を喰らう。
殆ど地声。エコーを切っているのかと思うほどの地声。
なんなんだ…この迫力は…
この身体のドコからこんな力が出てくるんだ…
彼女は身体全部でリズムを取る。
膝や首だけじゃなく、肩も腰も肘も指先も
全部がリズムを取って使って唄う。
余計な計算は一切ない。
余分な演出も全くない。
ステージ上のその全てが、彼女の「唄」の為だけに
存在している、
これ程、圧倒されたステージは記憶にない。
彼女のファンだといことを差し置いても
このステージから押し寄せてくる迫力と気力を
まともに受けてしまって、怯まない事は
不可能ではないのかと思うほど。
新譜からの数曲が終わり、懐かしい曲が少し並んだ。
「樹海の糸」 「Raining」
もう、撃沈。
特に「Raining」は本当にまいった。
彼女の曲の中で一番好きな曲。
私はこの曲で彼女にハマった。
涙するというより、ただもう号泣。
本当に、この場に居れる事を神様に感謝した。
MCで、前乗りして長田の盆踊りに行ったこと等を
挟みながら、ステージは進んで行く。
CD音源では、繊細なコーラスが多用されているけれど
ステージでは一切使わない。
最後の方で根岸さんが2曲程、
軽くコーラスを入れていただけ。
“ライブ”として“バンド”としてのCocco。
“ロックシンガー”としてのCocco。
1曲1曲、手加減無し・抜きどころ無しのステージ。
途中のアコースティックコーナでは素敵なサプライズ。
どうやら、他の所では全曲を抽選箱から選んで
公平に3曲唄っていたみたいだけれど、この日は抽選無し。
どうしてもこの曲が唄いたかったと「Rainbow」を唄う。
彼女が活動中止する直前に、ずっと聴いていた曲なんだそうだ。
そして、活動再開となった今、新しい曲を連れて来たと
徐に胸元から歌詞を取り出した。
バンドメンバーはキョトンとしている。
そして、なんとここでコード付けをすると言い出した。
バンドメンバー苦笑。スタッフ大わらわ。
だっていきなり「書くもの持ってきて!」だもん。
冷静に考えるとですね、物凄いもの見てたワケですよ。
だって、「曲が出来上がっていく様」を目の当たりに
しちゃってるわけですよ。
どうやら彼女の曲作りって、歌詞と主メロをある程度
作り上げから、ミュージシャンに伝えて
ミュージシャンがコード付けしていくって過程みたいです。
バンマスの根岸さんが、ギターやキーボードとやり取りして
いるのを聞いて、本人
「BとかCとか難しいこと言ってるね」って言ってるし。
自分の意図しない進行になったら
「あのね、ここは悲しい感じ」
って、抽象的な指示出ししてるし。
基本、根岸さんの事をとっても信頼してるんだなぁ
と思いながらその光景を眺めていました。
そのコーナー、翌日以降どうなったのかは判りませんが
とにかく神戸で産まれたその曲は、伸びやかで温かい曲でした。
アコースティックが終わると、ラストまで
ビートの利いたナンバーが並んだ。
そこでつくづく思ったのは、
「彼女はこのバンドのリズム体そのものだ」ということ。
確かに、ドラマー氏が些か頼りなく、
連打でタムを回すと微妙にズレたり、油断すると走ったりして
その都度、根岸さんがドラムの前に立って修正してたりした。
けれど、それを差し引いてもやはり、
彼女そのものが、リズム体として位置し、
メンバーはそんな彼女の息遣いを信頼している。
彼女は誰も頼らない。
自力でそこに立ち、自分の唄を信じている。
彼女はこのツアー「神戸」という場所にとても
思い入れが在ったよう。
「もっと早く来たかった。何も出来ないけどやっと来れた」
MCでそう言うと、その後は1曲毎泣きながら唄っていた。
そんな状況でも、揺れない。ブレない。
繊細に力強く、可憐に雄々しいロックシンガー。
そして、セットの一切無いステージだけれど、
照明の技術が半端じゃなく素晴らしい。
ステージの奥行き、空間の使い方、
それらを小道具、スクリーン等一切使わず
照明だけで、演出しきっていた。
本当に、彼女の曲1曲1曲を、噛み砕いて消化し
余力を残さず表現していた。
彼女の曲と相まって、もう圧巻の一言。
息をするのが痛いくらいの迫力。
アンコール無しの2時間、一体私は何度瞬き出来ただろう?
一体私は何度鳥肌をたてたのだろう?
この場に居れたことを、本当に幸せに思う。
久し振りにまっ直ぐな“ROCKのLIVE”を観たような気がする。
特に女性シンガーで今、これ程のLIVEが出来る人って
居ないのではないのかな?
身の切り方が違う。
血の流し方が違う。
言い訳が利くような、半端な唄い手ではない。
もしかして、彼女のオーディエンス達は
残酷な人間なのかもしれない。
けれど、オーディエンスが求めようが求めまいが
彼女は、こういう唄い手でしか有り得ないのだろう。
そして又「やっぱり次が観たい」
私も、残酷で欲張りな人間なのだろう。
でも、またツアーしてね「あっちゃん」
普段、ライブ会場で開演前に
ドキドキしたりってことが
最近もう無い。
この前の宇多田の時もそうだった。
なのに、今回はドキドキが止まんない。
なんかもうそわそわしちゃって
席に着いてからずっと身体が揺れていた。
オープニングは「音速パンチ」
ステージ中央付近からバンドがフロントを囲む様に
緩やかに半円型にセッティングされている。
ステージセットは一切無し。
各ミュージシャンの間に、照明用のスタンドが立って
いるだけ。
そこへ、白いバレーリーナの様な衣装で
彼女は現れた。
“華奢”とか“細い”とかってもんじゃない。
痩せっぽっちな女の子は抱えていた花束を足元に置いて
唄い始めた。
途端にガツン!と衝撃を喰らう。
殆ど地声。エコーを切っているのかと思うほどの地声。
なんなんだ…この迫力は…
この身体のドコからこんな力が出てくるんだ…
彼女は身体全部でリズムを取る。
膝や首だけじゃなく、肩も腰も肘も指先も
全部がリズムを取って使って唄う。
余計な計算は一切ない。
余分な演出も全くない。
ステージ上のその全てが、彼女の「唄」の為だけに
存在している、
これ程、圧倒されたステージは記憶にない。
彼女のファンだといことを差し置いても
このステージから押し寄せてくる迫力と気力を
まともに受けてしまって、怯まない事は
不可能ではないのかと思うほど。
新譜からの数曲が終わり、懐かしい曲が少し並んだ。
「樹海の糸」 「Raining」
もう、撃沈。
特に「Raining」は本当にまいった。
彼女の曲の中で一番好きな曲。
私はこの曲で彼女にハマった。
涙するというより、ただもう号泣。
本当に、この場に居れる事を神様に感謝した。
MCで、前乗りして長田の盆踊りに行ったこと等を
挟みながら、ステージは進んで行く。
CD音源では、繊細なコーラスが多用されているけれど
ステージでは一切使わない。
最後の方で根岸さんが2曲程、
軽くコーラスを入れていただけ。
“ライブ”として“バンド”としてのCocco。
“ロックシンガー”としてのCocco。
1曲1曲、手加減無し・抜きどころ無しのステージ。
途中のアコースティックコーナでは素敵なサプライズ。
どうやら、他の所では全曲を抽選箱から選んで
公平に3曲唄っていたみたいだけれど、この日は抽選無し。
どうしてもこの曲が唄いたかったと「Rainbow」を唄う。
彼女が活動中止する直前に、ずっと聴いていた曲なんだそうだ。
そして、活動再開となった今、新しい曲を連れて来たと
徐に胸元から歌詞を取り出した。
バンドメンバーはキョトンとしている。
そして、なんとここでコード付けをすると言い出した。
バンドメンバー苦笑。スタッフ大わらわ。
だっていきなり「書くもの持ってきて!」だもん。
冷静に考えるとですね、物凄いもの見てたワケですよ。
だって、「曲が出来上がっていく様」を目の当たりに
しちゃってるわけですよ。
どうやら彼女の曲作りって、歌詞と主メロをある程度
作り上げから、ミュージシャンに伝えて
ミュージシャンがコード付けしていくって過程みたいです。
バンマスの根岸さんが、ギターやキーボードとやり取りして
いるのを聞いて、本人
「BとかCとか難しいこと言ってるね」って言ってるし。
自分の意図しない進行になったら
「あのね、ここは悲しい感じ」
って、抽象的な指示出ししてるし。
基本、根岸さんの事をとっても信頼してるんだなぁ
と思いながらその光景を眺めていました。
そのコーナー、翌日以降どうなったのかは判りませんが
とにかく神戸で産まれたその曲は、伸びやかで温かい曲でした。
アコースティックが終わると、ラストまで
ビートの利いたナンバーが並んだ。
そこでつくづく思ったのは、
「彼女はこのバンドのリズム体そのものだ」ということ。
確かに、ドラマー氏が些か頼りなく、
連打でタムを回すと微妙にズレたり、油断すると走ったりして
その都度、根岸さんがドラムの前に立って修正してたりした。
けれど、それを差し引いてもやはり、
彼女そのものが、リズム体として位置し、
メンバーはそんな彼女の息遣いを信頼している。
彼女は誰も頼らない。
自力でそこに立ち、自分の唄を信じている。
彼女はこのツアー「神戸」という場所にとても
思い入れが在ったよう。
「もっと早く来たかった。何も出来ないけどやっと来れた」
MCでそう言うと、その後は1曲毎泣きながら唄っていた。
そんな状況でも、揺れない。ブレない。
繊細に力強く、可憐に雄々しいロックシンガー。
そして、セットの一切無いステージだけれど、
照明の技術が半端じゃなく素晴らしい。
ステージの奥行き、空間の使い方、
それらを小道具、スクリーン等一切使わず
照明だけで、演出しきっていた。
本当に、彼女の曲1曲1曲を、噛み砕いて消化し
余力を残さず表現していた。
彼女の曲と相まって、もう圧巻の一言。
息をするのが痛いくらいの迫力。
アンコール無しの2時間、一体私は何度瞬き出来ただろう?
一体私は何度鳥肌をたてたのだろう?
この場に居れたことを、本当に幸せに思う。
久し振りにまっ直ぐな“ROCKのLIVE”を観たような気がする。
特に女性シンガーで今、これ程のLIVEが出来る人って
居ないのではないのかな?
身の切り方が違う。
血の流し方が違う。
言い訳が利くような、半端な唄い手ではない。
もしかして、彼女のオーディエンス達は
残酷な人間なのかもしれない。
けれど、オーディエンスが求めようが求めまいが
彼女は、こういう唄い手でしか有り得ないのだろう。
そして又「やっぱり次が観たい」
私も、残酷で欲張りな人間なのだろう。
でも、またツアーしてね「あっちゃん」
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