その人から電話が入ったのは、仕事を終えて帰ろうとして
いた矢先だった。

少しの世間話の後、その人が切り出した
「もうすぐ1周忌え…」
柔らかい京都弁でそう告げられた時、私は初めて
今日の電話の意味を理解した。
そう、まったく忘れていたのである。

少し取り繕ってもみたが、覚えていなかった事は
明らかで、そのまま先方に伝わった。
先方も取り繕ってみたが、ショックを受けている
ことも又、ひしひしと伝わってきた。

あぁ、あれから1年経ったんだ…。あっという間だった
気がもする。けれど、随分昔の事のような気もする。
ただ、私は忘れていた。あの人が亡くなったという
事実は自覚しているものの、法事だなんてまったく
認識していなかった。

まだ納骨はしていないらしく、1周忌に納めるつもり
らしい。その人は京都まで来て欲しいと告げた。
「考えといて」と即答させないように、電話は切れた。

無性に煙草が吸いたくなった。少し躊躇ったけれど、
我慢出来なくなり、階下にあるコンビニでライターと
一緒に買い求めた。

事務所に戻り、迷わず火をつけ約1ヶ月振りの紫煙を
吸い込んだ。咳き込んだりはしなかったが、その場に
立っていられなくなった。頭の中がグラグラ揺れて
目眩で息苦しくなったのだ。
「私の身体はもうニコチンを忘れてる」
そう思った。ニコチンはこの1ヶ月をかけて、私の身体から
徐々に抜けて行ってるのだろう。禁煙をしているものとして、
それはとても良い徴候だ。喜ぶべき事だろう。

そして、しゃがみ込んだその場で漠然と考えていた
「忘れていくのは自然なこと」
電話をもらって動揺していた時は、正直
「私ってなんて薄情な女なんだろう…」
と自己嫌悪に陥ったけれど、今の私にその事は
「忘れてしまう程の事」になったんだ。
例え誰かに謗られても、その事実はどうしようもない。
そう思い着いた瞬間、少し気持ちが楽になった。

明日、断りの電話を入れようと思う。
変に長引かせて、期待させてしまうのも気の毒だ。
今の私には、そこに行く理由もない。

逢いたい人は別に居る。

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